手抜き暮らし研究所

ぼちぼち手も力も抜いて暮らしも負担も小さく

いずれはお別れするもの

ついに、ムスメのぬいぐるみたちを布に包んでゴミ袋に入れました。

誰かにあげようかと迷ったけど、迷惑になるかと思ったのでやめました。ぬいぐるみは、買ってもらった思い出も大切なものです。お下がりにするものではないなと思いました。


ワタシもぬいぐるみが好きだったので、これまでたくさんの子とお別れしてきました。小さなころに流行った抱えるようなサイズのぬいぐるみが欲しかったけど買ってもらえず、ようやく手にしたドナルドダックのぬいぐるみを目玉が飛び出ても直してもらって抱えていました。一緒に抱えていたピーターラビットのぬいぐるみは比較的丈夫だったので、この家に一緒に嫁に来ました。今でもぬいぐるみは大好きだしときどき心を鷲掴みにされるけど、お別れのときにとてつもなく申し訳ない気分になるのでやっぱり極力買わないことにします。今は、抱き枕にしている子をひとつだけ持っています。


小さな子がぬいぐるみや人形を抱えている姿は、とてもとても可愛いです。ムスメが最初に欲しがったのはちいぽぽちゃんでした。ムスメのちいぽぽちゃんは、付属品と一緒に友達が勤める保育園にもらっていただきました。
ムスメが思ったより遊ばなかったシルバニアファミリーは、ムスメの友達の妹ちゃんにもらっていただきました。今思えば、ムスメ本人よりもワタシが憧れていたのです。大きなぬいぐるみも、もしかしたらワタシの憧れの延長だったのかもしれません。今、ムスメは毎晩お気に入りの柴犬の抱き枕を抱えて寝ています。その子にもいつかお別れの日が来るかと思いますが、それはものだけじゃなく人や動物だって同じなのです。目玉がもげるほどお気に入りだったドナルドダックとお別れするときも、とんでもなく罪悪感を抱きました。でも、ずっと抱えて生きてゆくわけにはいきません。命あるものでもないものでも、出会ったからにはいずれはお別れするものなのです。

贈りものはいただいたときにすでに役目を果たしているという話がありますが、贈りものだけでなく、なんでも出会ったときからお別れへのカウントダウンが始まっているのかもしれません。それが早かったり長かったり、短くても濃かったり、買ったばかりなのにお別れすることになって「失敗したなぁ」と思ったり、誰かが持っているのを見て欲しくなったり、でも自分には不相応だったり。出会いがあれば必ずお別れもやってくるのでしょう。


そういえばついでに、誰かにお下がりしようと思っていたムスメの服もリサイクルに出すことにしました。確かに需要がありそうな服だけど、もうムスメで何代目かのお下がりで、無理に誰かにもらってもらうよりは発展途上国などで服が必要な子にもらってもらうほうが、いいかもしれないと思ったのです。もちろん、お下がりをもらってくれる誰かを探すのがめんどくさくなったというのもあるんだけど、服が余ってるようなところで燻らせるよりも、本当に必要な人のところに行ったほうがなんぼか幸せなんじゃなかろうかと思ったのです。


高いお金を払ったとか、あんなに欲しがってたのにとか、いいものなのにとか、もったいない気持ちは捨てきれないけれど、どんなものもいずれはお別れするものなのです。たぶん、手に入れたときにすでに半分くらい役割を果たしているのです。ハンドメイド作品なんかも、作ること自体が目的の半分くらいを担っているんじゃないかと思います。だから、お別れするのはその蜜月が終わったときなのです。罪悪感を抱くぐらいなら、作らなきゃいいし買わなきゃいいのです。それでも作りたいし買いたいのなら、たぶんそれ自体が目的でもあるのです。無理に理由をこじつけて、お別れのときを伸ばさなくてもいいのです。

なんてね、いろんな意味で自分を納得させています。めんどくさがりで自己嫌悪ばかりの人生です。



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