手抜き暮らし研究所

ぼちぼち手も力も抜いて暮らしも負担も小さく

好きなものは変わる

20代のころはキャラクターもののグッズを集めていた。チープでカラフルな雑貨や古着も好きだった。

20代の終わりに結婚して子どもが生まれて、独身のころほど自分のものにお金はかけられなかったけど、やっぱり雑貨は好きだった。少ないお小遣いで買ったものは、友達から可愛いと褒められることも多かった。


今もまだ模索している。
いくら好きだからといっても、もう20代のころの服装はできない。サイズは変わらないとしても、パンツひとつでも形が違う。
30代のころに憧れたナチュラル系の服は、ワタシのキャラではなかった。
昔から好きなのはマニッシュな感じだけど、40代の今着るとおじさんだかおばさんだかわからなくなりそうで注意が必要だと思う。


キャラクターものやチープな雑貨はほとんど手元からなくなった。子供たちもキャラクターものから少しずつ卒業している。
読む本も憧れのインテリアも、可愛いものが好きだったころは杉浦さやかさんとか柳沢小実さんとか本田さおりさんとかの本を読んでいたけど、素敵な暮らしに憧れても暮らし方の違う人の真似するのは到底無理だと開き直った。うちは低収入でスポーツキッズが2人いて、ワタシ自身が貧乏性でずぼらだ。最近は家計改善本もよく読むけど、本によると削るべきお金である保険や子どもの習い事に重きを置いているわが家は参考にならない。でも、子どもたちは例えプロ選手になれないとしてもサッカーをやりたがっているし、毎日車に乗っているチチや自転車で片道1時間かけて試合や練習に参加している子どもたちには保険は必要なものだ。実際に、数年に1度くらいは保険をかけててよかったと思う事態がある。きっと、そんなわが家にもしっくりくる暮らし方があるはずだ。狭い家だからできることや、低収入だからできることもあると思うし、今だってわれながらがんばってることもたくさんあるし、狭い家だから、低収入だからと諦めたり卑下したりすることもないんじゃないかと思っている。要は、自分たちが満足であればそれがベストな暮らし方なんだ。

でもなー、その「自分たち」という基準がなかなか難しい。
自分はいいと思っていても、家族は納得していなかったり、めんどくさいと思っていたり。昨日も、チチ宛のDMを捨てるようにチチに言ったら、ビニールのパッケージに入ったまま紙ゴミの袋に突っ込んであった。注意すると、「会社ではビニールも燃えるゴミだ」と逆ギレ。いやいや、この紙袋の中身は燃えるゴミじゃない、リサイクルゴミだ。わかってるだろう? 自分の非を認めろよ。子どもたちがやったらぶちギレるだろ? 開き直んじゃねーよ。「燃えるゴミは有料だから、めんどくさいけどちゃんと分別してるの。わかってるよね」とパッケージを開けて中の冊子のホチキスも外した。子どもたちもいらないプリントや保護者用の提出物をテーブルの上にまとめて放置してワタシに分別をさせるけど、わが家で一番手に負えないのはチチだと思う。やっぱり手に負えなかったハハ父が、定年した今はずぼらなハハ母よりマメに動いているのを見て「人間変わるもんだなー」と思ったけど、チチもいつか変わるのだろうか。まだまだチチの持ちものは多くてわが家の収納の半分は占拠しているけど、たぶん本人は「オレは何も持ってないし、買ってない。オレ可哀想」と思っていると思う。確かに最近は製菓道具と製菓材料しか買ってないけど、キミは何も捨ててないから過去のものも全部残っているんだよ気づけよ。
好きなものは、自分と一緒に変わるんだ。



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